つい自分の子と他の子を比べてしまう…
子どもは悪くないのに、自分の子を他の子と勝手に比べて、焦りから子どもに当たってしまったり、
「もっとやりなさい」
「しっかりして」
と怒ってしまったり…。
「比べるのであれば、他人とではなく、子どもの過去と比べよう」
と言い聞かせてはみても、つい他の子と比べてしまう。
どうしたら比べないでいられるのだろうか…。
こうした経験をお持ちのお母さん、お父さんも少ないかもしれません。
このようなときは、比べることを無理にしようとしないことがポイントです。
私たち大人は、相対的に物事を判断することができます。
全体を見て、自分の子がどんな感じなのか、周りと比べてどうなのか、比べたくなくても、勝手に頭が判断してしまいます。
その結果、たとえば他の子よりも劣っていると、劣等感などの感情を抱くこともあります。
そのようなときは、頭の中で比べるのをやめることにフォーカスするのではなく、抱いた感情を反映させないことにフォーカスすることが大切です。
頭の中で比べてしまうことは、許しましょう。
仕方がないのです。
しかし、比べたことで抱いた感情(焦りや不安)を行動に変えて、子どもに怒ったり何かを強要したりすることには、とても慎重にならなければなりません。
大人は、子どものできない姿に対して焦りや不安を感じると、その感情を早く解消したいという衝動から、原因である子どもの姿を変えようとしてしまいます。
しかし、子どもには
「自ら育つ力」
があり、それぞれのペースがあります。
一人ひとり得意なこと苦手なこと、らしさ、好みが違います。
「自分らしさやペースが保証されていること」
が子どもにとっての幸せなのです。
「みんな違う」ことがスタンダード
繰り返しになりますが、大切なことは
「目の前の子どもが何を求めているのか」
ということです。
私たち大人は、ときに自分の子を他の子と比べて、できない点を伸ばそうとするあまり、「今」自分の子が求めていることが見えなくなってしまうことがあります。
親がやってほしいと思っていることは、「今」その子にとって、まだ必要のないことかもしれません。
あるいは、その子は「今」違うことに夢中になっているかもしれません。
親が子どもの姿を見ないまま、焦って子どもの姿を変えようとしてしまうと、
「あなたはあなたでいい」
という無条件の子どもの信頼が、
「これができたらあなたを信頼する」
という条件付きの信頼に変わってしまいます。
本来、子どもの成長は、ペースが違って当然です。
「みんなちがって みんないい」のです。
モンテッソーリ教育では、「みんな違う」ことがスタンダードです。
一学年で区切らず縦割り保育を行うので、年齢の違う子どもたちが同じ環境にいて、それぞれが自分の興味のある活動をしています。
一方、日本の一般的な保育や教育のあり方では、学年で区切り、一斉に同じことを調され、相対的に見たときに、はみ出ている部分が目立つため、親としては
「もう○歳だから、これはできるようにさせなくては」
と焦ってしまいます。
しかし、本当に大切なことは、大人に用意された枠にきれいに収まっていることではありません。
その子のペースやその子らしさが保証され、
「あなたはあなたでいい」
と無条件に愛され、信じてもらい、自分のやりたいことにエネルギーを注いで、
「自分=個」
を確実に創り上げることが、子どもの育ちには大切なのです。
自立・自律への道のりは個人レースです。
「みんな一緒」の考え方で、みんなで手を繋ぎ一緒に歩むことはできません。
本当は、みんな違っていいはずなのですが、どこかで
「みんなと同じじゃないと」
「輪からはみ出ないようにしないと」
と大人が不安に感じてしまうと、無意識に子どもも焦らせてしまいます。
どうかご家庭では、
「あなたはあなたでいいし、みんな違っていい」
という思いでお子さんに接っしてあげてください。
一番近くにいるお母さん、お父さんがそう思って見守ってくれることで、お子さんは安心して自分の道を進むことができるのです。
大人だって「みんな違っていい」
この「みんな同じじゃなくていい」というのは、子どもだけでなく私たち大人にも言えることです。
「完璧な親でいなくては」
「みんなやっているから、うちも…」
と、周りとの調和を重視するあまり、自分はどうしたいのかわからなくなったり、無理して周りに合わせようとして疲れてしまったりすることがあると思います。
しかし、お母さんだってそれぞれに違っていいのです。
お父さんだってそれぞれ違っていいのです。
まずは、
「自分は自分でいい」
と、自分を肯定してあげることで、自ずと子どものことも
「あなたはあなたでいい」
と肯定してあげることができるかもしれません。
人には一人ひとり違った良さがあります。
それが「その人らしさ」を形作ります。
その「らしさ」を決して恥じることなく、そのまま生かしていいのです。
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